『私の胸の思い出』(天生一對)トークショー採録①
【 日本タイトル 「わ」行】
本日シネマート六本木へお越しいただいた皆様、ありがとうございました。
案の定、40分(実質は15分×2回)はあっと言う間
で、劇場さんと配給さんの了承を得て、おおまかな内容と語り切れなかった分をここで補足します。かなり濃いです…(苦笑)
羅永昌(ロー・ウィンチョン)監督作『私の胸の思い出』の作風が、本作のプロデューサーである杜峰(ジョニー・トー)さんの、例えば『Needing You(孤男寡女)』や『イエスタディ、ワンスモア』などととても近いと感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
それはローさんとジョニーさんは一心同体に近い存在であるからだと私は思います。
香港には“鉄三角”“鉄四角”という言い方があります。強い絆を表す言葉です。
映画界で言えば、
王家衛(ウォン・カーウァイ)監督には美術の張叔平(ウィリアム・チョン)とカメラのクリストファー・ドイルが欠かせない存在でしたし、
劉偉強(アンドリュー・ラウ)監督と麥兆輝(アラン・マック)監督は脚本の莊文強(フェリックス・チョン)なしに『インファナル・アフェア三部作』を生み出せなかったでしょう。
ジョニーさんの“鉄四角”は、韋家輝(ワイ・カーファイ)監督と編集&助監督であるローさんと脚本の游乃海(ヤウ・ナイホイ)さんがこれに当たります。
ローさんは1990年からジョニーさんの右腕として働いてきました。もう17年もの間、ジョニーさんを支えてきた人です。
『デッドエンド 暗戦リターンズ(暗戦2)』では台湾の金馬賞最優秀編集賞に輝き、『PTU』『マッスルモンク』で香港電影金像奬の編集脚本賞にノミネートされたりしたので“編集の人”と思われがちですが、実際には演出に多くたずさわってきました。
香港映画の製作システムでは導演(監督)=執行導演(現場監督:演出代行)=副導演(助監督:どちらかと言えばスケジュールを管理したり細々手配するデスクのような立場)という役目がありますが(※これは明確な定義がないので、monicalのとらえ方です)、実はローさん、 『ミッション』『フルタイム・キラー』『PTU』『マッスルモンク』『柔道龍虎房』『イエスタディ、ワンスモア』『エレクション』などなどの執行導演だったのです。これだけの作品でジョニーさんの意向を間違いなく汲み取って演出代行できるのですから、それはもう一心同体と言っていいんじゃないでしょうか。
ジョニーさんの監督デビューは遠く遡って1979年
、24歳の時です。
80年代、香港映画界では“香港ニューウェーブ”がもてはやされた時代でした。同じ時代を生きていましたが、ジョニーさんの立ち位置はニューウェーブの監督たちとはちょっと違っていました。
徐克(ツイ・ハーク)や許鞍華(アン・ホイ)、嚴浩(イム・ホー)らは海外留学で映画を学んだキャリアを買われてTVBの演出に迎えられ、後に映画界に転身。譚家明(パトリック・タム)は映画の評論から監督に転じ、呉宇森(ジョン・ウー)は大学在学中からその才能を高く評価されていたと聞いています。
一方、ジョニーさんと林嶺東(リンゴ・ラム)はTVBの養成所で演出家の訓練班に在籍し、同時にADとして17歳から現場で腕を磨いたいわゆる“はえぬき”です。リンゴさんはカナダに移住し帰国後にジョニーさんより早く映画監督としてヒット作を送り出しました。
つまり名前が世に出るのがいちばん遅くなったのがジョニーさんだったのです。
そのジョニーさんの“商業映画監督”としての地位を決定づけたのは、周潤發(チョウ・ユンファ)&張艾嘉(シルビア・チャン)が主演した『過ぎ行く時の中で』(89)、号泣ものの悲劇でした。
そして92年には周星馳(チャウ・シンチー)主演コメディ《審死官》が年間最高の興行収入(3000万HK$)をはじき出し、悲劇も喜劇も両方大ヒットさせる監督としてスポンサーの覚えも超めでたくなったのでした。
しかしその当時からジョニーさんには「撮りたいものを撮っていない」という消化不良があったそうです。
実は《審死官》と同じ92年に“撮りたい作品”を送り出しましたが、そちらは惨憺たる成績(200万HK$)で、1年のうちに最高作と最低作を両方世に送り出した稀有な監督、それは私です、みたいな(笑)。
いくらヒット作の実績があっても、興行的失敗を承知の上で「じゃあ、撮りたいものを撮りなさい」と言うスポンサーはいませんから、お客を呼べる大スターを起用した商業娯楽映画を撮り続けるハメに陥ります。
そして一念発起、韋家輝(ワイ・カーファイ)さんと自らの映画製作会社、銀河映像(Milkyway)を設立しました。大ヒット作の収益を、作りたい作品の製作費に回すもくろみです。
そもそもジョニーさんには「映画は監督のものである」という持論があるらしいです。「映画はキャストの人気で見せるものではない、第一線の俳優でなくても、監督の演出力で彼らの魅力を引き出し作品に厚みを持たせるものだ」と。まぁこれは製作予算を抑えるためのエクスキューズだったのかもしれませんが(笑)、今となっては(そちらのタイプの作品もヒットするようになった今)、任達華(サイモン・ヤム)から林雪(ラム・シュ)、邵美(マギー・シュウ)に至るまでを好んで起用する大義名分になりました(とmonicalは想像しています)。
もちろん銀河映像も“撮りたい作品を撮る”ばかりでは立ち行かなくなりますから、人気スターを起用した、観客が喜ぶ直球作品も並行して送り出します。その最たるものが劉華(アンディ・ラウ)&鄭秀文(サミー・チェン)主演の『Needing You』『ダイエット・ラブ(痩身男女)』『イエスタディ、ワンスモア』だったわけです。
なにしろジョニーさんの頭の中には企画がたくさん。あれもこれも同時進行しています。いくら多産の監督と言っても体はひとつ。
というわけで、いよいよここで長らく一心同体に仕事をしてきた羅永昌(ロー・ウィンチョン)と游乃海(ヤウ・ナイホイ)にメガホンを預ける時が来たわけです。
直球勝負の人気スター起用娯楽映画にはローさん、斜に構えたニヒルな作品は脚本の腕が冴えるヤウさん。
ローさんには『私の胸の思い出』と《毎當變幻時 Hooked on you》(今年の新作)。どちらも楊千[女華](ミリアム・ヨン)主演で相手役は前者が台湾のスター歌手・任賢齊(リッチー・レン)で後者が香港の人気ナンバーワン歌手・陳奕迅(イーソン・チャン)。
ヤウさんは来月の東京フィルメックスで紹介される『アイ・イン・ザ・スカイ(跟蹤)』が初監督作品となりました。こちらもまるでジョニーさんが乗り移ったような作品です(笑)。
以上のお話は『私の胸の思い出』の上映後のトーク内容(&話せなかった部分)でした。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。また、まだ作品をまだご覧になっていらっしゃらない方は、こんな背景を心の隅っこに置いて鑑賞していただけたら。明日は上映前のトークをUPします。
案の定、40分(実質は15分×2回)はあっと言う間











羅永昌(ロー・ウィンチョン)監督作『私の胸の思い出』の作風が、本作のプロデューサーである杜峰(ジョニー・トー)さんの、例えば『Needing You(孤男寡女)』や『イエスタディ、ワンスモア』などととても近いと感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
それはローさんとジョニーさんは一心同体に近い存在であるからだと私は思います。
香港には“鉄三角”“鉄四角”という言い方があります。強い絆を表す言葉です。
映画界で言えば、
王家衛(ウォン・カーウァイ)監督には美術の張叔平(ウィリアム・チョン)とカメラのクリストファー・ドイルが欠かせない存在でしたし、
劉偉強(アンドリュー・ラウ)監督と麥兆輝(アラン・マック)監督は脚本の莊文強(フェリックス・チョン)なしに『インファナル・アフェア三部作』を生み出せなかったでしょう。
ジョニーさんの“鉄四角”は、韋家輝(ワイ・カーファイ)監督と編集&助監督であるローさんと脚本の游乃海(ヤウ・ナイホイ)さんがこれに当たります。
ローさんは1990年からジョニーさんの右腕として働いてきました。もう17年もの間、ジョニーさんを支えてきた人です。
『デッドエンド 暗戦リターンズ(暗戦2)』では台湾の金馬賞最優秀編集賞に輝き、『PTU』『マッスルモンク』で香港電影金像奬の編集
香港映画の製作システムでは導演(監督)=執行導演(現場監督:演出代行)=副導演(助監督:どちらかと言えばスケジュールを管理したり細々手配するデスクのような立場)という役目がありますが(※これは明確な定義がないので、monicalのとらえ方です)、実はローさん、 『ミッション』『フルタイム・キラー』『PTU』『マッスルモンク』『柔道龍虎房』『イエスタディ、ワンスモア』『エレクション』などなどの執行導演だったのです。これだけの作品でジョニーさんの意向を間違いなく汲み取って演出代行できるのですから、それはもう一心同体と言っていいんじゃないでしょうか。
ジョニーさんの監督デビューは遠く遡って1979年

80年代、香港映画界では“香港ニューウェーブ”がもてはやされた時代でした。同じ時代を生きていましたが、ジョニーさんの立ち位置はニューウェーブの監督たちとはちょっと違っていました。
徐克(ツイ・ハーク)や許鞍華(アン・ホイ)、嚴浩(イム・ホー)らは海外留学で映画を学んだキャリアを買われてTVBの演出に迎えられ、後に映画界に転身。譚家明(パトリック・タム)は映画の評論から監督に転じ、呉宇森(ジョン・ウー)は大学在学中からその才能を高く評価されていたと聞いています。
一方、ジョニーさんと林嶺東(リンゴ・ラム)はTVBの養成所で演出家の訓練班に在籍し、同時にADとして17歳から現場で腕を磨いたいわゆる“はえぬき”です。リンゴさんはカナダに移住し帰国後にジョニーさんより早く映画監督としてヒット作を送り出しました。
つまり名前が世に出るのがいちばん遅くなったのがジョニーさんだったのです。
そのジョニーさんの“商業映画監督”としての地位を決定づけたのは、周潤發(チョウ・ユンファ)&張艾嘉(シルビア・チャン)が主演した『過ぎ行く時の中で』(89)、号泣ものの悲劇でした。
そして92年には周星馳(チャウ・シンチー)主演コメディ《審死官》が年間最高の興行収入(3000万HK$)をはじき出し、悲劇も喜劇も両方大ヒットさせる監督としてスポンサーの覚えも超めでたくなったのでした。
しかしその当時からジョニーさんには「撮りたいものを撮っていない」という消化不良があったそうです。
実は《審死官》と同じ92年に“撮りたい作品”を送り出しましたが、そちらは惨憺たる成績(200万HK$)で、1年のうちに最高作と最低作を両方世に送り出した稀有な監督、それは私です、みたいな(笑)。
いくらヒット作の実績があっても、興行的失敗を承知の上で「じゃあ、撮りたいものを撮りなさい」と言うスポンサーはいませんから、お客を呼べる大スターを起用した商業娯楽映画を撮り続けるハメに陥ります。
そして一念発起、韋家輝(ワイ・カーファイ)さんと自らの映画製作会社、銀河映像(Milkyway)を設立しました。大ヒット作の収益を、作りたい作品の製作費に回すもくろみです。
そもそもジョニーさんには「映画は監督のものである」という持論があるらしいです。「映画はキャストの人気で見せるものではない、第一線の俳優でなくても、監督の演出力で彼らの魅力を引き出し作品に厚みを持たせるものだ」と。まぁこれは製作予算を抑えるためのエクスキューズだったのかもしれませんが(笑)、今となっては(そちらのタイプの作品もヒットするようになった今)、任達華(サイモン・ヤム)から林雪(ラム・シュ)、邵美(マギー・シュウ)に至るまでを好んで起用する大義名分になりました(とmonicalは想像しています)。
もちろん銀河映像も“撮りたい作品を撮る”ばかりでは立ち行かなくなりますから、人気スターを起用した、観客が喜ぶ直球作品も並行して送り出します。その最たるものが劉華(アンディ・ラウ)&鄭秀文(サミー・チェン)主演の『Needing You』『ダイエット・ラブ(痩身男女)』『イエスタディ、ワンスモア』だったわけです。
なにしろジョニーさんの頭の中には企画がたくさん。あれもこれも同時進行しています。いくら多産の監督と言っても体はひとつ。
というわけで、いよいよここで長らく一心同体に仕事をしてきた羅永昌(ロー・ウィンチョン)と游乃海(ヤウ・ナイホイ)にメガホンを預ける時が来たわけです。
直球勝負の人気スター起用娯楽映画にはローさん、斜に構えたニヒルな作品は脚本の腕が冴えるヤウさん。
ローさんには『私の胸の思い出』と《毎當變幻時 Hooked on you》(今年の新作)。どちらも楊千[女華](ミリアム・ヨン)主演で相手役は前者が台湾のスター歌手・任賢齊(リッチー・レン)で後者が香港の人気ナンバーワン歌手・陳奕迅(イーソン・チャン)。
ヤウさんは来月の東京フィルメックスで紹介される『アイ・イン・ザ・スカイ(跟蹤)』が初監督作品となりました。こちらもまるでジョニーさんが乗り移ったような作品です(笑)。










以上のお話は『私の胸の思い出』の上映後のトーク内容(&話せなかった部分)でした。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。また、まだ作品をまだご覧になっていらっしゃらない方は、こんな背景を心の隅っこに置いて鑑賞していただけたら。明日は上映前のトークをUPします。
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- 21:50
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おー、初香港!(パチパチ)
初香港で映画のロケに遭遇したら一生分の運を使い果たすかもしれませんよ(笑)。私は100回以上行って偶然ロケ現場を通りかかったのはたったの3回です(爆)。毎朝現地の新聞を買って記事をチェックしたら、ロケ場所がわかるかもしれません。だから地図は現地で必ず買いましょう。
私の胸の思い出
9月に試写会で私の胸の思い出に出合ってから、私の中では香港一色です
実は今日も「私の・・・」観て来ちゃいました。観客は5人くらいでしたが・・・カナシイですね。
もにかるさんのトークショーでさらに拍車がかかり、香港映画祭もジョニー・トー監督みたさに行ってしまいました。
香港映画の楽しさを教えてくださって、ありがとうございました!
ところで来月香港に行く予定(初
ぜひいってみたいのです!
>ジョニー・トーと仲間達オールナイト…
それとパン・ホーチョン オールナイト
夢ですね~(笑)
黒澤明を意識しつつも、何だかよく分からない捻れと捩れのある「銀河映像」作品が、私は大好きです(笑)
香港で出版された「銀河映像、難以想像」というインタビュー評論レビュー写真集も、買ってしまいました。幸い英語対訳付きなんで、ぼちぼちと読んでいます。ジョニー・トーと仲間達オールナイトとかどっかで企画されないでしょうか…
鉄の絆はいいんですが、監督を任せておきながら香港のプレミア上映などでは監督たちは隅っこで影薄く、ジョニーさん一人が毒を放ってる感じ、なんとかしてほしいです~(笑)。
ブログを読ませていただき、なるほどと思うこと大です。
他の作品でも初監督なのに何故手慣れているの?と思っていましたが、現場ではキャリアを積んで居られる方々なんですね。説得力のある作品を撮られるはずと一人納得。