大変遅くなりました。2月25日、『花の生涯~梅蘭芳~』舞台挨拶つきプレミア上映の真裏に(笑)、シネマート六本木で開催された『ブラッドブラザーズ -天堂口-』公開記念、
“レンズ越しに見た「ブラッドブラザーズ」の世界”トークショーのご報告です。会場にお越しいただいた皆さん、ありがとうございました。楽屋話も掲載しますので読んでね!

ウィンシャさんは、日本では
『ブエノスアイレス』『花様年華』『2046』など、
王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の御用スチールカメラマンのような認識が強いと思いますが、もともとはグラフィック・デザインの勉強を香港とカナダでして最初はアメリカの会社で働いたデザイナーです。香港ではまずグループ、グラスホッパーの
蔡一智(カルヴィン・チョイ)とラップ・ユニット軟硬天師の
葛民輝(エリック・コット)&
林海峰(ジャン・ラム)が作った
double-x workshopというデザイン事務所に籍を置くアーティストでした。
やがてそこから独立して
Shya-la-la workshop(Shyaはウィンシャさんのシャ。)という事務所を設立しました。90年代、香港のポップカルチャーを思いきり引っ張った会社のシャチョーさんだったわけです。当時のCDジャケットを見てみてください。ポップでオシャレなものは、ほとんどダブルエックスかシャララによるものです。
「そう、香港に戻った時はデザイナーの仕事をするつもりで帰国しました。
王家衛(ウォン・カーウァイ)監督との出会いで写真の仕事をするようになったんです。
最初は彼がプロデュースした日本のファッション・ブランド【TK】の広告写真でした」monicalは昔、広告スタイリストをしていたこともあってその広告が記憶にありました。
「あー、菊池武男タケオ・キクチの広告ですね」と言ったらィンシャさん、マジ驚いちゃって(笑)。
「浅野忠信さんがモデルでした。
そこにカメラマンが4・5人呼ばれた。
監督はご存じのように、始めたらなかなか終わりません(笑)。
3日間、毎日20時間ぶっ通しみたいな仕事でしたから、他のカメラマンは居眠りをしたり途中で逃げ出したり。
結局最後まで起きていていちばん多くのカットを撮影した僕の写真が使われることになったわけです」「それが縁で『ブエノスアイレス』のスチールを撮影することになったわけですが、
ウォン監督に限らず香港映画界ではスチールカメラマンの地位ははっきり言って高いとは言えません。
映画の現場でもスタッフには罵倒されるわ意地悪されるわで居場所がないんです。
でも僕はいい方法を思いつきました。スタッフにビールを差し入れする。
そうしたら場所を空けてくれるようになりました。
そうやって仕事をしていても監督が僕をどう思っているのかまるでわからなかったんですが、
ある日僕のアシスタントに監督が
「彼はスタッフにどんなに嫌がらせをされてもガンとして場所を動かないのが立派だ」
と言ったそうなんです。それを聞いて、あー、監督も認めてくれているんだ、と感激しました」つまり監督はウィンシャさんの作品以前に、根性に惚れたってことなんだと思います。
「梁朝偉(トニー・レオン)さんとウィンシャさんは辛抱強いという点が共通しているということですね」と言ったら
「まさしくその通り。」(笑)。
「もちろん映画のスチール撮影の場合は事前に脚本を読んでストーリーを把握しておく必要があるわけですが、
ほら、ウォン監督は脚本がないでしょう?
だから「どういうふうにしましょうか」と尋ねると、決まって一言しか返ってこないんです。
『花様年華』の時は「赤」のひとこと(場内爆笑)、
『2046』の時は「オペラ」のひとこと。
そのキーワードから自分なりにイメージを膨らませるわけです」あ~、その現場の様子がなんだか目に浮かびます。思った通り(笑)。
「アレクシー・タン監督の『ブラッドブラザーズ』の場合は脚本を読んで、60年代のノスタルジーを表現したいと思いました。
だからモノクロやセピアの世界をイメージしたんです。」ちなみにトークショーの最後に抽選で選ばれた幸運な1名の来場者にプレゼントされた立派な『ブラッドブラザーズ』の
フォトブックは、
限定1000冊しか印刷されなかった
非売品。その中の写真はモノクロやセピアカラーでした。
撮影現場の雰囲気というのはどんなものだったのでしょう。
「アレクシー・タン監督は以前からの親友。だから仕事をくれたんです。
スタッフもキャストも一流だったので素晴らしい現場でした。
キャストたちとすぐに仲良くなってしまったので、いざスチールを撮ると言ってもふざけてばかりでなかなか撮らせて貰えなかったんですが。
ファッション雑誌のモデルと俳優は、被写体としてまるで違います。
モデルはカメラの前では服をどう見せるか知っていますが、
俳優はそこにストーリーがないとダメみたいです。
それでも醸し出す独特の雰囲気が素晴らしいんです」「自分が被写体になる時は、その場のライティングや光線を考えて、できるだけ陰影を作るように少し斜めに構えて痩せて見えるようにしています」(場内爆笑)
実はウィンシャさんは
『恋するブラジャー大作戦(仮)』のスチールも担当したりしています。結構びっくり(笑)。
「いろんな監督の作品に関わりたいと思っているんですが、実際には全然依頼が来ません。
なぜなら、誰もが僕はウォン監督のお抱えカメラマンだと思って敬遠するんです」はい、日本のファンもそう思っていました(爆)←monicalの心の声
トークショーも終わる時間が迫ってきたら、ウィンシャさん自ら上手にまとめてくれました(笑)。
「タン監督からの伝言です。
作品を観ては感じないと思いますが、大変な困難や苦労の末に出来上がった映画なので、皆さんに存分に楽しんでいただきたいです」終わってから控え室で語ってくれた「苦労エピソード」には驚きました。
中国人エキストラたちにロケ弁を配ったら、食べるだけ食べて撮影前に全員がトンヅラしたで、これでフォトブック・プレゼントの抽選となりましたが、あまりに立派なフォトブックに
「なぜ売り物として作らなかったんですか?」と追及してしまったmonical(汗)。だって、本当に素晴らしい作品集なんだもの。しかも美男美女オンパレード(笑)。
そうしたらここでさらに貴重なお話が飛び出しました。
「いい写真がたくさん撮れたのでどうしても写真集にしたかったんですが、予算がとれなくて。
実はタン監督の弟がカジュアル・ブランドDIESELのCEO(!!!)なので、スポンサーになってくれと頼んでやっと実現しました。
でも1000部が精いっぱい。
出来あがったら関係者の奪い合いになって売るほど残らなかった(笑)、というのが本当のところです。
装丁はニューヨークのデザイナーに頼みました。
中もとても凝っているものだったので心配で、印刷所でずっと作業を見張っていました(笑)」再び楽屋話ですが、
フォトブックをプレゼントするので、会場でサインをしてあげてください、と劇場スタッフに言われたウィンシャさん。
現物を見て腰を抜かすほど驚いていました(笑)。
「いったいどこから手に入れたんですか!!」スタッフ、慌てて
「監督から提供していただきました」実はその写真集にはシリアルナンバーが入っていて末尾の数字が「
9(久と同じ音)」でした。
それを発見したウィンシャさん、
「なんだ、縁起のいい数字のものを監督が確保していたのか。僕に分けてくれればいいのに」トークショーの前後には、とにかく小さなデジカメであちこちを撮りまくり。
写真で記録することが日記がわりなんだそうです。
写メもいちいち監督に送っていました。本当に仲良しなんですねー。
監督、「僕も行きたかった」とブツブツ言っていたんですって。
そうそう、
「アレクシー・タン監督、漢字で書くと陳奕利。チャン(広東語)でもチェン(北京語)でもなくなぜタンなんですか?」と聞いてみました。
監督、
フィリピン出身なんだそうです。なるほど~。たしかにシンガポール、マレーシアなど東南アジアの歌手や俳優に「タン」という苗字の人、たくさんいます。あれは
福建語発音の“陳”だったんだと初めて知りました。
この夜、本編の後に上映された短編
“A Forbidden Love Story”もタン監督の作品で、
弟さんの会社のブランド、DIESELの実験的プロモーション映像だったのでした。
リウ・イエが出演しています。
これもタン監督から素材が提供されたそうです。
監督についての情報がまるでなかったので、
monicalにとってもこのトークショーはとても貴重な体験でした。
ウィンシャさん、ありがとう!!

中:ウィンシャ(夏永康)さん 右:通訳のアリソンさん(『エグザイル-男たちの絆-』以来です!)
控え室の照明が蛍光灯だったので陰影を作ることもできず、3人とも無防備にカメラにおさまっています。
※トークショーの写真はウィンシャさんからご提供いただきました。さすが記録魔(笑)
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